念のための前置:(いないとは思いますが…)映画の内容をまだ知りたくないという方は、お読みにならないで下さい。
尚、この感想は学生(花の女子高生)時代から歴史上の人物「伊能忠敬」に惚れまくり、子供(小学生)時代から加藤剛のファン(by『江戸を斬る!』)であるという果てしなく偏った嗜好を持つ管理人の『感想』でありますので、皆様に理解できない燃え方をしている箇所が多々見られると思われます。…どうか、お読みになられる物好きな方は、暖かい目で見守ってやって下さい。
そして、もし、同じ嗜好の方がいらっしゃいましたら、是非とも管理人に声をかけてやって下さい。絶対に、掴んで離しません。(待て)






とある日のことでした。
私は全く別の用件で東○のHPに赴きました。そして、そこで偶然にも映画『伊能忠敬』の文字!を発見!!(映画の情報とか全然チェックしない人間なので…。)ぬわにいいいい〜〜〜と吠えつつ文字をクリックすると、そこには主演:加藤剛の文字が!!きゃああああああ!!と狂喜乱舞状態に陥った私の脳内の予定表には、ソッコーでこの映画をずえったいに見に行くという確固たる決意と計画がでっかく太文字で書込まれたのありました。
(今、思い起こせば、あの時は確か『RED SHADOW』の上映期限を見に行ったのでした。しかし、ただ可愛い戦車ピロロを見に行こうかな〜程度の関心は、燦然たる『伊能忠敬』の文字の前には偏に風の前の塵に同じ。色物忍者映画の存在は、その時点で私の脳からきれいさっぱり消え去りました。)


○伊能忠敬とは?

御存じない方もいらっしゃると思いますので、ここで『伊能忠敬』という歴史上の人物について少しだけ御紹介を。
彼は江戸時代の人で、上総国(千葉県)の出身。裕福な家に生まれ、婿養子に行った「伊能」家も村一番の地主であった。婿に入ってから、二十二年の間に伊能家の財産を十倍に増やし、天明の大飢饉の際にも村で一人の餓死者も出さなかった。など、経営手腕のある人物であった。(婿養子故に頑張ったというのもあるようです。)
しかし、彼の人生においては五十歳で隠居してからが、本番。隠居した忠敬は江戸に出て、幕府の天文方高橋至時の弟子となる。(数学が得意で、田畑の測量も自分でやっていたとか。勉学で余生を過ごすことができるのは、現代だけのものではないのです。ただ、懐に余裕がないと難しいですけどね。…今も同じか。)
高齢故に学問ができるかどうか危ぶまれたが、忠敬は天文方でも頭角を顕わしていく。五十六歳の時に子午線一度の長さ(これが分かれば、地球の大きさも分かるというシロモノ)を出すため、の自費で蝦夷地(北海道)南東海岸の測量を行い、地図を作成する。その地図の正確さが幕府に評価され、以後、彼は幕府の命により日本全国を「歩い」て測量する事になる。
地図が完成したのは、彼の没後、三年の後のこと。彼が作った地図は非常に正確で、現代の地図との誤差はほんのわずかであった。

*惚れポイント
→五十を越えても頑張った。
→様々な面で能力高し。
→全国を「歩い」て地図を作った。
→しかも、その地図が正確。
→あんな道具と漢数字でどうやって!?私には分からん!できん!!
→自分のなすべきことを全てやってから、己の「趣味」に生きた!しかも「趣味」にかかる費用も稼ぎ済み!!
→真の趣味人はこうでなくては!(ここ、最大のポイント)

ちなみに私は他の歴史上の人物としては、源頼朝とか大久保利通とかが好きです。マイナーというか、下手すれば悪役扱いな人たちでありますが、後世に残した影響力で私は歴史上の人物を評価致します。故に、若くして何もせずに亡くなった人達は好みの対象外となります。伊能さんの場合は、生き方がすごく好きです。


○『伊能忠敬−子午線の夢−』物語り&感想

天明八(1783)年の冬。
忠敬の妻ミチが病死する。死の床において、忠敬が読み上げた伊能家の財産は三万両(一両×5〜10万円で計算してみて下さい。)。ミチはその財産を養子の忠敬ではなく、息子の景敬に譲り渡す。
婿養子の忠敬に財産を相続する権利はない。忠敬の働きを認めながらも、伊能家の直系としての筋を通し、彼女は四十二歳で亡くなる。
(その後、忠敬は三人の妻を持ちますが、最後の生没年不明のエイを除いて、全ての妻が早死にしております。)

五十歳になった忠敬は、洪水に対する対処で役人と対立したのをきっかけとして、息子に全てを任せ、隠居する。彼は江戸に居を構え、幕府天文方高橋至時(たかはしよしとき:榎本孝明)の弟子となり、長年の夢だった子午線を測るという夢に挑む。深川(自宅)から蔵前(天文方)まで歩いて距離を測る。毎日、毎日、正確な距離を出すために、彼は同じ歩幅で歩き続ける。決して道を譲らない、その歩き方は人々の注目を浴び、お栄との出会いとなる。(歩測のために踏まざるを得ない、犬のウ○コを取ってあげるお栄さん…。懐紙で包んであげたのはいいんですが、その後、あれをどうされました?)
女ながらに優れた教養を持つ彼女は、忠敬の助手として、地図づくりに大きく貢献する事となる。

しかし、蔵前から深川まででは、子午線一度の正確な長さを出すには、距離が短過ぎる。

至時は忠敬に自費での蝦夷地(北海道)地図の作成を持ちかけ、彼に奥州街道を測り、子午線の長さを出すよう勧める。
忠敬は世界で初の子午線測定の地位を夢に、地図作成に乗り出す。五十六歳であった。
しかし、諸国を巡る地図作成は幕府密偵との誤解を、あちこちで招いた。

仙台藩では、地元の役人に賄賂を送られ、蝦夷地では、襲撃を受ける。
地図づくりに協力してくれていたアイヌと間宮林蔵(増沢望)の助けで、窮地を逃れる。が、測量に時間がかかり過ぎた事から、幕府や天文方の不信を招き、測量半ばで忠敬は江戸へと帰着する。
しかし、彼が提出した地図の精妙であった。幕府は彼に引き続き奥州、北陸の地図づくりを命じる。

(アイヌに助けられる忠敬…。イイ人(アイヌにおにぎりをあげた)故に助けられた風に描写されてましたが、これ、必要だったのかな?それよりも、マジもののスパイな間宮林蔵が野心ありありにちょい悪くてカッコ良いです。この役者さん、買いです。あと、父親を手伝うため、息子の秀蔵が地図づくりに参加しているのですが、顔好み〜と思ったら、本当に加藤さんの息子(加藤大治郎)でした。役も親子なら、現実でも親子…。パンフを見るまで親子共演だとは気がつかなかった愚か者です。よく見れば、似てるわ。)

忠敬は、東日本地図の完成とともに、至時に子午線の長さを報告する。が、西洋ではその長さは既に実測されていた。二十八里二分。忠敬の計測とほぼ同じ実測値であった。
世界初の子午線実測者としての夢が破れた。
至時は死の床で、地図作成を忠敬に託す。
東日本地図の正確さが認められ、忠敬は幕府に正式に武士として取り立てられ、「日本全図」の作成を命じられる。
師至時の言葉に、忠敬は地図づくりに全力を傾けようとする。いつ終わるともしれない地図づくりに、忠敬はお栄に別れを告げる。彼女は終わるまで待つとい言ったが、忠敬は若い彼女のこれからを案じ、一人で地図づくりに挑んでいく。また、彼は幕府の役人との折り合いが悪い息子も、地図づくりから外してしまう。

(「夢」のために、女も息子も犠牲にする。映画の忠敬はそのように描かれました。犠牲と言うよりは、彼らの身を案じ、また、自らの地図づくりを遂行するために止もう得なく切る(息子を仕事から外す)といった感じではありましたが、現実はどうだったのでしょうか。子午線実測という個人の夢から始まった地図づくりが、優れているが故に、国家事業となってしまった。後半、今までともに歩んできた人々と別れ、幕府役人と測量する忠敬は、ひどく孤独に見えます。)

地図づくりも大詰め。
残るは九州薩摩藩の測量のみ。そんな忠敬のもとを間宮林蔵が訪れる。幕府隠密となった彼は、忠敬に薩摩行きを中止するよう告げる。密偵と間違われて危険だと。しかし、忠敬は身内に遺言状を渡し、薩摩柄へと足を踏み入れる。案の定、一行は妨害工作を受け、見張りに付きまとわれる。忠敬は将軍の舅島津重豪(丹波哲朗)に会い、屋久島への船を願うが、拒絶される。折しも、豪雨の最中。鉄砲水から農民と田畑を守ることにより、忠敬は屋久島の計測を認められる。
全ての計測が終わり、出来上がった地図のもと。感慨に耽る忠敬に、至時の声が聞こえる。
「わずかにずれがありますよ」
伊能忠敬死去。享年七十四歳。
日本全国を歩き回った後半生であった。

(お栄さんとの別れは本当に必要だったののか?丹波哲朗はお相撲惨に肩車までされて、本当に出る必要があったのか?薩摩藩の妨害はあっても、丹波哲朗はねーだろー。なラストでありました。ドラマとして面白くしようというのは分かるのですが…。忠敬が洪水の被害を防ぐシーンは、何か余分だったような気がします。派手ではないからこそ、彼の人生には意義があるのですし、派手ではないからこそ魅力があるのではないでしょうか。身分は武士となっても、あくまでも農民として事に当たろうとする姿勢は、定番ですが、それほどカッコ良く見えません。地図づくりのおまけくさい…。それよりも、隠密として、薩摩藩の城に葵の御紋の簪を置いてきたと言う間宮さんが、何ちゅーか、時代劇っぽくって素敵でした。やっぱ買いだ、この人。)


物語としては、まぁ、無難です。歴史上の人物を主人公とした時代劇らしい作りになってました。
ただ、最期。しっかりと忠敬の死を見せてくれなかったのが、残念でした。光に向かって歩いていく。そのシーンには文句を言いませんが、彼が死ぬ前に地図は完成しなかったのです。夢半ばにして、倒れる。これは惨いようでいて、案外、幸せなコト…。
一応、至時が「正確じゃないよ〜」と言って、その不完全さを指摘しますが。地図完成前に亡くなった。そのままで、映画を作って欲しかったです。
加藤剛さんは、年齢、顔つき、役者としての風格。全てにおいてハマり役でした。容貌、中身全てにおいて「伊能」ができる役者はこの方しかいないでしょう!後で思えば、息子との共演もなかなか意味深な台詞ばかりで、(息子だと気がついていればもっと)楽しめました。(くっそー、見る前に気がついておけば…。)
あと、特筆すべきは間宮林蔵でしょう。
後々、高橋至時の息子がシーボルト(江戸時代に日本にいたドイツ人医師)に忠敬の作成した日本地図を渡した咎により、獄死します。それを幕府に密告したのが、間宮林蔵、その人であります。日本全図の北海道部分は、忠敬が帰った後に間宮が実測して渡したデータがもとになっています。忠敬とも仲が良かったとのこと。しかし、この事件をきっかけとして、忠敬の測量技術は時代から失われることとなるのです。

忠敬の墓は遺言により、師至時の側に作られました。ネット上には彼のファンクラブもあります。(参照:伊能忠敬研究会ー「伊能ともだち」になり語り合ってみませんか。というフレーズに惹き付けられつつも退いてしまう管理人であります…。)

総合評価70点。
おじいさんが主役でもおっけーな人にはおススメの映画です。(いるんかい、そんな人…。)

余分ですが、この映画のパンフはなかなか出来が良いです。買った時に、何だ?この古びた表紙は?と思わせる作りになってまして。私なんぞは、映画館が日の当たる所にほっぽっていたのではないかと、本気で売り場で訴えそうになってしまいました。(その前に「わざと」であると気が付きました。よ、良かった。恥をかくとこだったぜ。)
ついでに言えば、前売券には、よくおまけがついてきますよね。『伊能忠敬』のおまけは「手拭い」でした。
当然ながら、絵柄は伊能作日本全図なのですが、添えられている言葉が。

天地の果てまで夢と歩む。

でござりました。
惚れましたね。うん。

東宝の宣伝部はなかなかにお茶目であります。(『千年の恋』のポストカードに比べたら、よっぽどこっちの方がウケます。というか、イケてます。)


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