数年分のストックを利用して、
主に図書館で借りた本の感想を簡潔に書いています。
本当に簡単に書いていますので、
ネタバレなどの心配はほとんどありません。
解説風で内容を賞賛する事が滅多にないのが特徴です。

『エジプトの日々』
『フェノロサと魔女の町』
『ナスカ 砂の王国』
『セレス』
『日本史鑑定』
『宇宙の庭』龍安寺石庭の謎
『アルカイック・ステイツ』
『十二人の手紙』
『夏目漱石の事件簿』象牙の塔の殺人
『ヒトラーという男』


『エジプトの日々』イスラムのはざまで ダグラス・ケネディ

原題『BEYOND THE PYRAMID』
日常のエジプトを書くために費用を捻出してもらい旅に出掛けて出版した本。
初めから観察記ををかくつもりなので、観察には余念がない。観光を全くしないで、作者は観光客をこき下ろしている。
日常に垣間見られるのは、西洋とイスラムの狭間で揺れるエジプト。
ブラウン管の向こうに見えるかくも羨ましき西洋の生活。エジプトだけでなく、アジア、アフリカ、西洋以外の国々は皆、憧れているのだ。そうして、同時に心に妬みを植え付けていく。
真似に走るか、拒絶するか。我々は未だ選択に迷っている、ような気がする。

『フェノロサと魔女の町』久我なつみ

伝統的な日本文化を愛し、現代の変わり洋に失望した欧米人は多いようだが、彼らの真似をしてこう変わっていったのだから、お互い様である。
愛するなら失望しないで「粘れ」と思うのだが、日本に魅かれる方々は繊細な人が多いらしく、保たないのだ。日本文化を愛する事が出来る「豪快」な人物という人はいないものだろうか。
繊細、というよりは「高尚」な日本を愛したアメリカ人として、フェノロサは有名である。後に宗旨変えをしているうそうだが、彼の貴族趣味は後の日本美術界に良くも悪くも大きく影響を与えたそうだ。ただ、彼が日本(美術)を愛してくれなければ、日本文化の凋落はもっと酷かったそうで、有り難迷惑半々ということらしい。
この本は彼の出身地港町セーラムを主題としている。
作者は問う。
セーラムは何故、フェノロサを黙殺したのか?
地元出身の有名人はたとえ僅かなつながりでも持ち上げるのが地元の心意気というものだ。だのに、ある時点からセーラムは彼を無視する。現在では地元の誰もが彼がセーラム出身である事を知らない。
そこにはどんな秘密があるのだろう。
作者の疑問は大いに妥当だが、些か悪趣味でもある。
それはアメリカの美しい町の恥部をわざわざ覗き見する趣向でもあるから。
それに対し、町は沈黙するのみ。公的には全く差別のないアメリカ。過去の魔女狩りの事実を白日のモノとしておきながら、底に沈澱する狭量さは覆い隠そうとする。
故に、この本の最後は感動的ですらある。フェノロサが日本に何を求めたのか。故郷を追われた人間が最後に求めるものは何か。
あぁ、我々人間は何と単純に出来ている事だろう。

『ナスカ 砂の王国』地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯 楠田枝里子

以前、不思議発見で名前を聞いた事があった、ナスカ地上絵研究家マリア・ライヘ。
彼女を追い掛ける楠田さんも魅力たっぷりで、読みごたえがあった。ちょうど楠田さんの取材期間がベルリンの壁が崩壊する前後に当たったことも幸いし、内容は現代と過去を行きつ戻りつして濃い。
このような本を読むと思う。
一つのことに生涯を捧げる事が出来た人はたとえ世間から認められなくてもグリュックリッヒであると。
パンパの身を埋もらせながら、地上絵の謎に挑み続けた女性。その存在を知る事が出来ただけで充分である。
(マリア・ライヘ女史は'98年6月に亡くなられました。)

『セレス』南條竹則

電脳封神演義らしい。だが、電脳空間での戦いは無機質である。
現実世界に仙界を出現させるなら、仮想現実がもってこいであろう。電子世界への意識の変換などは面白いが、この作者のものにしては相性が合わない。
我々は体内に電気を持っている。
意識・動作・反射のやりとりには全て電気が関係している。死ぬ事は電気の動きがなくなるという事。我々は歩く小さな発電機。
仮想現実へ行っても実は現実と大差ない。
どこでもエネルギーは必要だし、死はあるし、進化も恋もあるのだろう。
この話のように。

『日本史鑑定』高橋克彦 明石散人

らしい書物である。
内容は日本のオリジナリティ、アカデミズムへの批判、浦島伝説(=道教)と天皇家の関わり、日本歴史の裏に潜む物部一族、柳田邦男の意地の悪さ、東北王朝をスパイした源義経、日本は誇れるもの、などなど。
既成の歴史観とは異なる観点からの蘊蓄が二人の会話によって進む。彼らの論拠の良い所は膨大な資料に基づいて話している点。高橋より明石の論に成る程と思う所が多かった。

『宇宙の庭』龍安寺石庭の謎 明石散人

日本史の教科書や資料集に必ず乗っているあの庭の謎解きゲームである。
相変わらず斬新。(に見える)
確かに、あの庭はそこに行って実際に見ると、意外に小さい。以前、行った時に空間が静かなので暫く座り込んで眺めていたが、あれが何を顕わしているかは分からなかった。
ただ、あれで完結しているようには思われなかった。明石散人はカシオペアから北極星、細川勝元の宇宙創造。更には庭を抜け出し、龍安寺そのものの建立時期、細川勝元の生死、最後には勝元の隠し財宝へと話が発展していく。犬追物が謎の儀式であるということや、一休の先をいっていた義天玄承などなど、溢れる蘊蓄にただただ圧倒され、真相を疑いたくなる、博識振りである。
明石散人…。いったいどういう人なのか。

『アルカイック・ステイツ』大原まり子

表紙のデザインがもう少し良ければ何の文句もない。
人は何回同じ時間を繰り返せば、間違いを犯さずに済むのだろうか?
アグノーシアでさえ百六十一回もかかった。

『十二人の手紙』井上ひさし

時代のギャップを随分感じる。
成る程、時代を反映させた書物というものは、ほんの2、30年でこうも読み手に違和感を感じさせるものなのだなぁ。
これは昭和五十三年の本。夢想家の多い話。最初と最後を繋ぎ、十二人を一本の線に乗せる発想は定番だが、展開に無理がある。文章は上手いので飽きはこないが、最後に別の締くくり方を持ってきて欲しかった。
画家の話は気に入った。ナイスな奥さんと旦那さんが良い。(表題「鍵」)

『夏目漱石の事件簿』象牙の塔の殺人 楠木誠一郎

寅彦と猫がいい。
あの藤村操と漱石が教師・教え子の関係にあったとは知らなかった。あちこちに明治の有名人を配しつつ、物語は進展する。事件そのものは大したものではないが、それに挑戦する寺田寅彦と漱石の師弟の会話が楽しい。
猫に対する漱石の愛情もなかなかのものである。

『ヒトラーという男』史上最大のデゴマーク ハラルト・シュテファン

ヒトラーという男は多分普通の人間なのだと思う。
名前ばかりが一人歩きをしている人間はたいがいがそうだ。確かに彼はドイツの狂気を生み出したが、それはもともとどこの誰にも内包されているものであり、彼はそれを引き出す才知と時に恵まれただけなのだ。彼はあの時、あの地に生きていたために、ドイツという国の総督にまでなった。そして、時代に相応しく生きたのだ。
彼は間違った事をしたなどとは一片も思っていない。そこが彼の強みであり、愚かな所である。ユダヤ人を劣等種として虐殺しておきながら、自分の母が世話になったユダヤ人医師は「優遇」する。彼は矛盾に満ちているが為に、研究者は混乱するらしいが、終止一貫した人間など存在しないのだ。彼を特別視する必要はない。彼は人間であり、我々と同じなのだ。口と扇動が上手い、ただの人。故に、多面性を持ち、狡猾だが、残酷で近寄り難く、冷酷で自制心に欠け、愚痴っぽく、思いやりに満ち、寛大で、親切で、自制心を持ち、誇りを忘れず、全ての美しいものに偉大なものに感動する事が出来た。
ただ、我々は認めたくないのだ。「あの」ヒトラーと我々が「同じ」であるということを。