「薄氷」




噂の足は風よりも早いと言うが。
顕時は従者が息せき切って知らせてきた報に、内容よりも噂が伝わるその早さに先ず感心した。その事件が起きてから、まだ二日と経っていない。自分が今いる地と、鎌倉までの距離に一瞬思いを馳せてから、彼は従者をねぎらった。
「よく知らせてくれた。礼を言う。疲れているようだから、奥で休むといい」
春が過ぎたばかりの初夏だというのに、従者は額に汗をびっしりとかいている。この知らせを一刻も早く自分の元に届けたかったのだろう。
房の奥に控えているはずの女房の名を呼んで、彼は土間にひざまずく従者の前から歩み去った。去り際に従者のひどく不満気な顔がちらりと視界をかすめた。彼はもっと自分の喜ぶ顔か、感慨に満ちた反応を期待していたに違いない。

すまないな。

彼がどんな気持ちで自分の元にその知らせを伝えに来たのかが分かるだけに、顕時は心の中で従者に謝った。

霜月騒動に縁座して上総国竜角寺に籠居すること、九年。

感情を露にするには、些か月日が経ち過ぎてしまった。
先ずは、世話になってる寺の住持に知らせるべきだと思いつつも、顕時の足は自然と自室へと向かっていた。出家して籠居すると決めた時に、寺の敷地に自分達の房を建てさせてもらった。出家者らしく地味でこぢんまりとした造りで、二人とわずかな従者が住むにはちょうどいい…。
顕時が自室の前で足を止めると、やや俯き加減の持仏の顔が真っ先に目に入った。それと整然と並べられた大量の書物や巻き物。彼の部屋は紙、紙、紙で埋め尽くされている。そんな彼の部屋に、また更に書物が二つ三つと増えるにつけ、滝子は呆れたように笑った。

本当に、あなたって人は。

仏と文字に囲まれた静かな。しかし、ただそれだけでしかない日々の中で、彼女の笑みは彼の諦めにも似た無聊を慰める、数少ない光であった。あの笑顔を見ると、取り戻せない過去にも一瞬だけ戻れたような、そんな錯覚すら抱くことが出来た。
持仏の顔からゆっくりと視線を下ろしていくと、幾つもの位牌が彼を迎える。
手書きの戒名が木板に書かれただけのものがほとんどで、漆塗りの良いものは少ない。
漆がきちんと塗られたものは彼の身内の位牌。木板は妻の身内のものである。滝子の身内は謀反人として、鎌倉幕府に誅された。供養など引き受けてくれる寺はなく。戒名はこの寺の住持の情けでつけてもらい、位牌は顕時が滝子とともに作ったのだ。戒名も二人で書いた。
幕府に、いや、平頼綱に謀反人を弔っている事が知れたら、ただでは済まなかったろう。如何にしてか、頼綱の安達氏に対する遺恨は強く、そして深かった。自分もそれが分かっていたからこそ、自ら出家してこの地に籠居したのだ。妻を離縁する事は考えられなかった。主だった安達一族の中で、残ったのは覚山尼殿と滝子ばかり。覚山尼殿は亡き時宗殿の妻であり、現執権貞時殿の母、さらには出家の身である。謀反の類が及ぶ事は、先ず、考えられなかった。だが、その立場上、彼女が表立って安達の供養をする事は出来ない。安達は謀反人である。執権の母が謀反人を供養しては、謀反という罪そのものが成り立たなくなってしまう。
密かに彼女は滝子に頼んだそうだ。

兄の供養を頼みますと。

だが、一方で頼綱は弔いを知っても、自分達には何もしなかったのではないか、とも思う。
彼が幕府を支配するようになってからの政治は、伝え聞くにも耐えない恐怖政治であった。が、それ故に、顕時は彼の空虚が分かった。

彼は殺して欲しかったのだ。

己の心の内に増え続ける闇を周囲にまき散らす事で、彼は自分を殺してくれる者が現れるのを、待ち望んでいたのではないか。

彼が安達泰盛を討つよう貞時殿に進言されたと聞いた時、誰も彼もが思った。

時宗殿さえ、生きていてくれれば…。

時宗殿という唯一の光を失った闇は、その暗さに耐え切れなかったのだろう。

そして、猛り嘆き哀しむ心のまま安達を滅ぼした。

顕時は自室へと足を踏み入れ、障子戸を閉めた。卯月のやや強めの日射しが、渡りの床板を白く焼いている。部屋に差し込む光も日に日に強さを増してきている。

書物を陽に焼かせては…。

松下禅尼の身内らしく、滝子はこまめに障子を貼り代えてくれた。顕時は持仏の前の定位置に座って足を組んだ。馴染んだ香の香りに包まれて、顕時はふうと息をついた。九年の間に染み込んだ香りは、彼の心を和ませる。

やはり、一番ここが落ち着く。

なぁ、滝子。

顕時は最も新しい漆塗りの位牌に向けて、出家らしからぬ笑顔を向けた。
彼女を失って、もう五年になる。語りかける人の姿は、黒い位牌に取って代わられた。

「頼綱殿が亡くなられたそうだ」

正確には、貞時殿に謀反人として討たれたというのが正しいが、彼女にはそう告げない方が良いような気がする。明るい、気丈な女であったが、肉親が殺された痛手からは、ついぞ立ち直ることはなかった。ここに来ても笑顔は絶えなかった。しかし、笑った後には、いつも笑った事自体を恥じるような表情を見せていた。口には出さなかったが、夫が出家し籠居したのも自分のせいであると常に気に病んでいた。

気にするな。

と顕時が何度言っても、彼女はいつも申し訳なさそうに目を伏せるばかりであった。
早く逝ってしまったのは、その気鬱が原因でもあろう。
争い事から、鎌倉から遠ざかっても、彼女の心が安らぐ事はほとんどなかったと言ってよい。
いっそ離縁した方が、彼女のためではなかったろうか。
滝子が目に見えて衰弱し始めた頃、顕時は自分の選択に迷いを持ち始めた。彼女を一人にするくらいならと共に出家の道を選んだのだが、自分と共にいる事が彼女を苦しめているならば今からでも別れた方が良いのではないか。
思いあまって、床に伏すばかりになってしまった彼女に顕時は聞いた。

「離縁した方が良かったか?」

「いいえ、あなたと最期までともに過ごせて、滝子は幸せでございました」

か細い声でつむぎだされたその言葉が、顕時を救った。小刻みに震える彼女の指先を手に取り、顕時は嘆きと幸せに溢れる心のままに滝子ともに泣いた。
例え罪なき罪人扱いをされようとも、自分達は幸せであったと、顕時は思う。

「頼綱殿も亡くなられて、鎌倉も寂しくなったな」

彼が死んだとなれば、鎌倉はいずれ自分を呼び戻す事になるのだろうか。
年老いたと言うにはまだ早いが、今の鎌倉には昔を共にした者が最早、誰一人として残ってはいない。

蒙古を退けるためにともに額を寄せ集め、語り合った者達は誰一人…。

あの薄い氷の上を歩くような日々を知る者は誰一人として生きてはいない。
自分とさほど年の変わらぬ者が多かったのに。
今は自分一人しか残っていない。
不思議な事だ。

それにしても、よく我らは蒙古を退ける事が出来たものよ。

今の彼は、あの頃の元の強大さを知識としてよく認識している。第三者として客観的に情勢を検討する事もできる。あの頃の元は、とても鎌倉幕府だけで対抗出来る相手ではなかったのだ。神風に助けられたと、今でも寺社の者達は主張して憚らない。顕時もそれは一理あると思う。だが、風が来るまで持ち堪えていたのは我らだ。石塁を作ったもの我らだ。武士なくして、この国の安寧はなかったであろう。

時宗殿なくして、この国は…。

顕時は背後を振り返り、障子に透ける光を目に入れた。どうしてか、時宗という名を思い起こす度に、彼は光を感じる。強く眩しいばかりの光ではなく、優しい儚い夢のような光を感じるのだ。武士の棟梁には相応しくないか弱さだが、顕時はその光にこそ時宗の本質を見ている。
鎌倉から離れて、時を重ねて。色々と物事が見えるようになってきたからだと、自分では思っている。あの時は時宗殿の抱えていた様々な事情を、自分はほとんど分かっていなかった。
今、考えるに。
時宗殿の命は内と外の戦いに喰われたようなものであった。生まれる前は、三浦との戦い、生まれてからは父母の愛憎の狭間で揺れ動き、長じては名越、足利、将軍家、蒙古、死の間際には、頼綱殿と泰盛殿の不仲。そして生涯を通しては兄時輔との確執があった。
異母兄弟の争いは珍しい事ではない。
だが、あの二人はなまじ共に育ち、仲が良かっただけに争いは哀しみでしかなかった。
蒙古との二度目の戦いを前にした時宗殿は、何かの弾みで簡単に壊れてしまいそうな、脆さがあった。兄を討った後、時宗殿は何かと無茶を重ねた。蒙古に勝つために兄を討ったのだから、蒙古には必ず勝たねばならない。そう、悲痛な覚悟をもって戦いに挑んでいるように見受けられた。
北条得宗家の嫡男。
生まれながらに約束された将来。
誰もが望むもの全てを持ちながら、時宗殿は実のところ、望むものは何一つ手にする事が出来なかったのではないだろうか。
若過ぎる死は、ある意味、彼にとっては救いではなかったのかと、顕時は最近思うようになった。

それともこれは、ただ一人で残った者の過ぎた夢想であろうか…。

時宗殿が亡くなったのも、今と同じ、卯月であったな…。

死に際には時輔殿が参られたと聞いた。生存に、最早驚きはなかったが、あの兄弟の確執はどう終わりを迎えたのか。今でも気になっている。大陸へ向かったとされる時輔殿の行方は分からない。
時宗殿はいつか大陸に行ってみたいと、たびたび口にされていた。
時輔殿がその望みをかなえるべく大陸に渡られたのなら、良いのであるが…。

「滝子は、どう思う?」

光から目を逸らして、再び彼女の位牌を見遣る。位牌に問いかけても、当然ながら返事はない。ただ、彼女なら逆にこう、聞いてきそうだ。

「あなたはどう思われるのですか?」

儂は。

儂はそうであれば良いと思うが、憶測だけで物事を判じるのは良くない。

「まぁ、あなたったら。人には意見を聞いておいてそれはないのではありませんか」

彼女の笑い声が耳元で聞こえるような気がして、顕時は目を閉じた。少しでも長く、この声をとどめておきたい。
頼綱殿が亡くなった。
自分はいずれここを去り、鎌倉に戻る事になるだろう。



薄い氷の上を歩くような事態はもう、二度と来なければ良い。




その四ヶ月後。
北条顕時は上総から鎌倉に召し返された。








出家して慧日と名乗っていますが、分かりにくいために顕時で統一しました。
勝手に滝子さんを故人にしてしました。
資料などで全く確認していませんので、その点は御了承下さい。


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