第十一話『時頼絶命』
時輔「人は醜きものじゃ」
時宗「人は美しきものにござりまする」
涼子「もう一度、申して下さりませ。この私の顔を見て、申して下さりませ」
時頼「すまなかった、涼子」
北条得宗家の早死は時頼の父時氏(執権にならずに20代で死亡)から始まる。
得宗家以外の者が、執権になってもそれほど早くは死なない(←絶対ではない)のに、時頼以後、執権となった得宗家の人間は、何故か早く死ぬ。
故に、毒殺が常に囁かれ、また実際に行われたようだ。
時頼に関しては、30代後半でもあり、過去に大病を患ったこともあるので、必ずしも毒殺されたとは言い難いが、得宗家執権は、不審な死を迎えなかった者の方が異常に少ない。
それほど、鎌倉幕府とは不安定な政府なのである。
自らの死を前にして、時頼は息子三人に、遺言として三つの事を言い渡す。
一つ、毒を盛った犯人を探さず、自分の死は病死として扱うこと。
二つ、時宗は家督を継ぎ、宗政(むねまさ、時頼と涼子の二番目の子、ちょっとマザコン気味)は弟として時宗を支え、時輔は二人の家臣として力を尽くせ。
兄を家臣にという言葉に、時宗は反発する。
だが、父は運命を受け入れよと言う。
そして、三つめを告げようとして、時頼は昏倒する。
(本当に思いきった倒れ方だったので、見ているこっちがビビった。渡辺謙さんて、白血病を患ったことがあるんですよね…。)
時頼倒れるの知らせは、またもや、鎌倉を揺さぶる。
事は内密にと決められるが、執権長時は将軍にその事実を知らせ、足利家は早速、時輔を呼びつける。
足利家に来るのはこれで最後と言う時輔だが、桔梗はもう退けぬぞと、逆に時輔に脅しをかける。
毒を盛ったのはそなたであろうと。
時輔は鎌倉を離れる決意を固める。
(奥さんも妊娠したことだし。)
刻々と父の死が迫る中、耐えられなくなった時宗は、ついに母涼子に父の本当の状態を告げる。
逡巡の後、時頼の元へ向かう涼子。
17年の時を経て、やっと口にされた謝罪に、彼女は全てを許す。
(↑上記の台詞。)
三つ、長時を殺すこと。
四つ、時輔を殺せ。
最後に、時宗一人を呼び寄せた時頼は、そう言い残して、息を引き取る。
享年37歳。
善政と独裁の両方を行ったとされる、権力者であった。
次回予告:『暗殺』
時宗は兄を殺せるか?
(長時さんの方を気にしてないあたり…。)
あと3969日。
止めたのか?と思ったら、フェイントだった。(出るタイミングをズラしただけかよ)
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