第十三話『大いなる岐路』



桐子「運命など幻じゃ」


とは言い切れない。
特に渦中にある人にとっては尚更である。
実際、時頼亡き後、鎌倉はかなりごたごたしたようである。
ドラマが始まる前の前振りで説明された通り、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』は時頼死後の1年間分がすっぽり抜けている。
都合の悪い時は沈黙するのが、この歴史書の特徴なので、「ない」という事実だけでその当時の様子が察せられる…。
強大な権力者の後釜を狙う争いは、ドラマ以上に醜く、且つ熾烈であっただろう。
そして、その時、時宗は13歳。時輔は16歳。
果たして、現実の彼らは大人達の争いをどう、見ていただろう。



長時死す。
この報を受けた時宗は、まだ夜も明けぬ時刻に時輔の元へと馬を走らせる。
(お兄ちゃん大事な時宗君は、長時のコトなんぞどうでもいいらしい。)
父の四つ目の遺言「時輔を殺せをも、実行されたのではないかと、兄の身を案じたのだ。
だが、この行動は兄にその事実を悟らせてしまう。
自分を殺せと遺言した父の惨い仕打ちに、時輔は打ちひしがれる。(つーか、ヤケになる。)
彼は鎌倉を出る決意を翻し、妻祥子のみを実家へと帰らせる。
長時死す。
表向きは病死として扱われたが、この事態に、彼を使って時宗を殺そうとしていた将軍も動揺する。
誰か、この事を漏らしたのではないか。
非情なる執事(今で言う秘書官のような存在。)高師氏(こうのもろうじ)によって、時輔に企みを「漏ら」した足利頼氏は無理矢理自害させられる。
長時同様、病死扱い。享年26歳。
(頼氏の正式な没年は全く違います…。長時もきちんと出家してから死ぬ余裕がありました。つまり、史実では2人とも普通に死んだのです。)


相次ぐ死者に、将軍は厄払いの「鬼追い」(=現代の豆まき)を行う。
死を招いた「鬼」を退治する儀式なのだが、儀式の終了後、時輔は「鬼」はまだ退治されていないと声高に言い募る。
時頼を、長時を、頼氏を殺した醜き鬼はまだ生きていると。
対し、三人は病死したと主張する時宗。(武士にとっての)夢の都鎌倉にそのような醜き争いはないと…。
だが、時輔はあくまでも三人の死を明らかにせよ、醜き鎌倉なぞ幻の都だ、誰も三人が病死したのだと思っておらぬと、時宗の主張を御家人達の前で叩き潰す。
そして、その場で兄は将軍への忠義を誓い、この後の時宗との対決を決定的なものとする。


兄に負けた時宗は兄の追放を幕府首脳陣に申し出る。


次回予告『兄の追放』


あと3844日。