第二十話『十八歳の執権』
十八歳という年令は微妙です。
あの時代では完全に成人の年令ですが、流石に政治の舞台ではやや弱輩。
蒙古襲来の危機に備えて時宗に執権職が譲られたというのが定説ですが、さて、彼はそれほど優れた人物であったのかどうか。
実の所、資料が少なくて、よく分からなかったり…。
(ちょうどこのあたりから資料として最も重要な『吾妻鏡』がないんです。偶然なのかそれとも…?)
「執権職を時宗に譲るべき」
時輔の放った矢は時宗だけではなく、安達泰盛、北条実時の幕府首脳陣をも動かす事となる。
彼らは政村に執権の交代を迫るが、政村は受け入れない。
一方、京都へと国書を持ち帰った時輔は近衛基平の依頼で朝廷の評議の場に赴く。
が、貴族達は官位のない彼をあからさまに蔑ろにする。
そうして、貴族達の評議もまた、紛糾する。
関白基平は上皇に直接意見書を提出し、蒙古へ返書を出さぬよう押し切る。
だが、鎌倉の意図も知っておく必要がある。
誰かを送れぬかと聞く基平に時輔は「官位」を無心する。
時宗に執権職を勧めたことといい、彼の思惑はどこにあるのか?
(京に来た次の年に時輔は従五位下式部丞に任命されてます。だから、史実では、この時既に彼は無位無官ではありませ〜ん。)
実時の説得により政村は時輔に執権職を譲ると言う。
だが、彼ではまだまだまだまだ心もとないとも言う。
(えぇ、それは誰もが思ってますとも。)
執権職に就任するならば、「時輔に官位を渡さない、そして、藩阜を返書を持たせず追い返す」よう謀ってみよ。
政村の求めに時宗は一晩の猶予を願う。
明けて、翌朝。
母と弟の館へ馬を走らせた時宗は執権になる覚悟、即ち「後のない」道へ進む決意を二人に誓う。
息子の覚悟に、母涼子もやっと前向きに生きる事を息子達に告げる。
長い恨みに満ちた道程であった…。
次回予告『初陣』
日蓮と頼綱は何をもめているんだか…。
あと、2394日
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