最期の菊第四十九話『永遠の旅』


兄弟愛に始まり兄弟愛に終わると見せ掛けて、とってつけたように夫婦愛で終わってみたえぬえちけい大河ドラマ『北条時宗』最終話でござりました。
(来年を意識しまくりのモヨウ。で、あの後光時宗はお迎えだったのですか?←よー分からんウチにCGにとって変わられてしまった。)




いやいや、最終話がろくじっぷん放送だったとは。二十時三十八分になるまで気付きもしませなんだ。最後ばかりはと、録画していたてえぷが途中で切れる所でござった。急いで予約録画を手動に切り替え申したが、執権殿の嘆きが少々消えてしまいました。今までの喧嘩腰感想が悪かったのでござろうか。
それにしても、これで一年の長きに亘り感想を書き続けてきた大河どらまともお別れでござるか。散々文句を言った身でありながら。終わってみると、何やらもう一度見てみたくなるのが人の性と申しましょうか。総集編、見る気満々でござりまする。しかし、たった二回の放送にござりまするな。じじの石のしいんがかっとされていなければ、宜しいのですが。
さて、執権殿に託されたこれからを如何致しましょうか。
先ずは、喪に服し、執権殿の仏前に手を合わせましょうぞ。
蒙古との戦い、お疲れ様でござりました。どうか、安らかにお休み下され。なに、少々お待ち下されば、泰盛殿、頼綱殿も直ぐに参りまする。誓いを破られた事、どうか、御存分にお叱り下され。





オトさずにはいられない性なのです…。






死期を悟った時宗は、執権職を引退する。
(で、誰を次の執権にしたんですか?まーさーか、執権のまま引退したとでも言いたいのですか?えぬえちけい!?えぇ加減にさらせよ!おんどれ!ケンカ売るぞ、うらぁ。)

自分の死後を案じ、時宗は泰盛と頼綱に力を合わせるよう誓わせ、刀を交換させる。
(出来もしないことを、させんじゃないよ…。)

博多の時輔は、宗政の遺骨を手に鎌倉を目指す。
(何で、二年以上も経ってから…。芳子さんに早く届けてやって下さいよ。)

時宗は兄時輔に会う事を願っている。涼泉尼との語らいでそれを知った祝子は、謝太郎に時輔の居所を訪ねるが、時輔は歩いて鎌倉を目指していた。
間に合わないのではないか。
祝子は時宗に時輔との再会まで頑張るよう励ますが、時宗は兄とは心の中で会えると、祝子に言う。
(それって、のろけですか、執権殿。途中で京に寄った兄上の前に妖怪おばばが…。うちの祖母まで言いましたよ。「まだ、生きてるの?この人!?」いったい幾つなんですか、清川さん…。追記:2002年5月24日89歳で亡くなられました。)



衰える時宗のもとを、母涼泉尼、息子貞時らが訪れる。母との和解。「人を殺すな」との訓戒。死を前にして、時宗は一層強く、生と新しき世の到来を願う。
謝太郎の出迎えにより、時輔は時宗の臨終の床に駆け付ける。去来する幼き日々、争い、憎しみ。そして、兄への弟への情。宗政の遺灰を手に涙する時宗。
彼は兄に向かって、果たせなかった自分の数々の願いを、死への恐怖を、何よりまだ、死にたくないとの思いを口にする。
時輔は全てを肯定し、受け入れる。
そうして、訪れる最期の時。
時輔は祝子を呼び、時宗の手を握らせる。
鎌倉幕府第八代執権北条時宗。
弘安七年四月四日没。享年三十四歳。兄との相克。蒙古との戦いに燃え尽きた生涯であった。


嘆き悲しみは、人それぞれ。


泰盛は時宗の志を継いで新しき世を作ると言い。
慟哭し、果ては空っぽになった風情の頼綱には禎子が囁きかける。時宗の代わりにならしゃいましと。


弟の死を見取った時輔は、時宗に引き取られていた息子と言葉を交わすことなく、博多へと舞い戻る。
彼は謝国明に船を乞う。時宗を連れて大陸に渡るため。服部とともに大陸へと渡った彼のその後は、杳として知れない。そのまま大陸に留まったか、いづれ日本へと戻ったか…。




↓以下、登場人物についての感想をつらつらと。


→祝子
一貫して、政治を理解しない普通の女性として描かれました。周囲の女性の悲惨さに比べれば、ドラマにおける彼女の環境は恵まれていました。(流産してますけど。)
しかし、彼女の悲劇は時宗の死後に訪れます。頼綱の目論見とはいえ、兄泰盛が息子貞時の命によって討たれるのです。安達家の女として北条得宗家に嫁いだ意義を、彼女は粉々に壊されてしまいます。
これがドラマの「祝子」に結びついたのでしょう。彼女にもっと政治力があれば、この悲劇は防げたかもしれないのです。あの政治に対する無力さは執権の嫁としては不合格ですが、一方でそれが女性としては普通あります。
時宗の足を引っ張る様子は腹が立つこともありましたが、彼女の女らしい明るさは(稀〜に)物語りの救いでもありました。
西田ひかるは完全に役をこなしていたと思います。(ただ、ナレーションは覚山尼ではなく、もっと別の第三者(アナウンサーでも良し。)か、涼子さんにやって欲しかったです。だって、最初の頃、夫時宗の父時頼の妻涼子だの、夫時宗の父時頼の母松下禅尼だの…。すっっごく、説明がうざかったです。あれは明らかにミスキャストというか、ナレーションミスキャスティングです。)


→安達泰盛
どうしても体育会系。
恐らく、史実と一番違うキャラクターとなってます。ドラマでは良い人でした。
…それだけです。そして、それが一番不満です。


→平頼綱
大河ドラマにおいて、こーゆーキレたタイプの役柄は初めて見ました。(不幸故に荒んでいるってのは、いました。が、自分の光を見つけてしまってそれに迷惑なくらい子供っぽく心酔するキャラクターは初めてです。)この人が出る度に困りました。お願いですから、大河を清き眼で見させて下さい。
お陰で、北村一輝は忘れられない役者になりました。


→北条顕時
影が薄かったですね。呑んだくれの時の方が印象が強いのはどうしてでしょう?役者名が最後まで覚えられませんでした。
どちらさまでしたっけ?


→桐子
子役の子は上手かったですね。キャラクターとして失敗。その上、ミスキャスト。最後は佐志のオヤジ殿にクビライ暗殺を失敗をさせるためだけに存在をしていたとは…。
これが悲劇でなくてなんなのであろう。





→北条時輔
大陸病にかかられる前の兄上が好きでした。父親にあからさまに差別されようが、そのせいで母が死のうが、左遷されようが、殺されそうになろうが、妻を討たれようが、弟が大事だという貴方の姿勢は最後まで変わりませんでしたね。
実際のトコロどうだったのでしょう?
普通、異母兄弟が一緒に育つことはありません。年に一、二度会えば良い方。互いに兄弟であるという意識すら持たない。持てない。のに、兄弟である。それ故、昔の異母兄弟どうしの争いは悲惨であります。
血の繋がりが相続と言う名の争いを招き、「他人」にしか思えないのに、兄弟である。
現実の時輔は執権としての弟時宗をどう思っていたのでしょうか?
ドラマでは、死しても尚、共にあろうとする兄弟でありました。
捻くれつつも弟思いな兄上でいて下されば…。(思いあまってヤバ気な話を書くこともあったでしょうが)夢見る兄上は私にとって別人でした。あぁ、捻くれたままでいてくれた方が、渡部さんにより相応しかっただろうと、未だ未練がましく嘆いております。


→北条宗政
対して、彼は史実でもよく兄を支えた弟であったようです。基本的に異母兄弟は仲が悪くて当たり前、同母兄弟は比較的仲が良いのが中世の特徴であります。宗政は最初がヘタレだった分、最後で栄えました。
キャラクター作りは分かりやすい方が、得。という良き例です。


→北条時宗
史実と、キャラクター作りが一致しておらず、見事なほどに失敗した例。
大河ドラマの主人公としては、作り方がマズかったと思います。人殺しや争いを嫌う人間を蒙古との争いに挑ませる。テーマとしては悪くないのですが、作りが下手でした。彼の台詞はいつも抽象的で、なにがやりたいのか、視聴者にはさっぱりです。(その点では兄も同じ。)「逃げてはならぬ」とか「清き眼で」とか…。
で、いったい何をしたんですか?
ちゃんと次の場面に時宗の決意が繋がっていないことが多々ありました。
これは政治描写から逃げた脚本家の責任でしょう。高麗への派兵を実際に計画したとか、九州の守護職を北条一族で固めたとか、三度目の蒙古襲来に備えた事実とか、物語の展開上必要なはずの史実がたくさんすっとばされました。
それを避けて何が、大河ドラマでしょうか。
そのせいで北条時宗という歴史上の人物の魅力が、半減してしまいました。(個人的に。)
鬼となって戦うのも半端なら、戦いに対する姿勢も半端。
人としても甚だ不自然だったように思われます。
せっかく、その役柄に相応しい和泉元彌という役者を得ながら、その魅力を生かしきれていない。
これは製作者側の責任です。(和泉さんの演技が満点とも言いませんが…。)
資料のない、初挑戦の時代にチャレンジした割にはよくやったと、一応、フォローしておきましょう。
私はヘタレ故に苦しむ貴方が割と好きでした。(演技や話に不自然さがなかったとも言います…。)



取り敢えず、思いついた人達だけです。
今回、書かなかった登場人物については、また総集編の感想ででも書きたいと思います。
だって、まだ残ってるじゃないですか。日蓮とか、涼子さんとか、時頼とか、時広じいとか。



(じじスキーを甘く見てはいけません。)