◆第一話「運命の子」◆



母親に似ている〜云々でとりつくろったところで、所詮、下半身に負けたことは違いないですから、残念!!

な感じの平清盛さんの話でした。

(ここで常盤さんが清盛に5年も世話になっていると、一条長成(いちじょうながなり)との間に生まれるハズの良成の年齢と計算が合わなくなってしまうんだが。ゴマキ生んでる場合じゃなんですよ〜、稲森さん)


まあ、それは置いておいて。

<大筋>
保元の乱で源義朝が平清盛に敗れ、義朝は尾張で家来の裏切りに遭い、死去。遺児の頼朝は逃亡中に捕えられ、同じく遺児の義経は母親とともに清盛の所へ。義母の池禅尼に頼朝の助命を乞われた清盛は、頼朝の処遇に悩み、また母として子を守ろうとする常盤の姿に動かされ、頼朝、義経の命を助ける。
頼朝は伊豆へ流罪。義経は母とともに置かれるが、その母の元に清盛が通うようになる…。

清盛に焦点を当てて始まりました、『義経』。義経と清盛の間に「擬似的」親子関係を成立させておいて、平氏に対する義経の恨みを大きくする作戦ですか。
正直、重衡を「兄」、清盛を「父」呼ばわりする義経に目が点になりました。逆にしいたげられていた方が「恨み」は倍増すると思うんだが、違うんだろうか。

後々、この頼朝と義経が平氏を滅ぼす。それを救ってしまう清盛。歴史の皮肉と必然を示すようなこの源平の関係は、確かに「歴史」としても「事実」としても興味深い。源平の争いが物語としてもよく取り扱われるのはこの三者の特異な関係があってこそ、であろう。

清盛は後に何度も思ったに違いない。



あの時、殺しておけば…。



実際、彼は何故、頼朝と義経の命を救ったのか。色々と言われているようだが、義経は先に嫡子頼朝が助かっていたから、殺されなかったのだろう。だから、考えるべきは源氏の棟梁となる「頼朝」を清盛が助けた理由。頼朝の母の実家が池禅尼を通して助命活動をしたというのにかつてほうとなったことがあるが、どうなのだろう。
あの2人がいなければ、残りの源氏は義仲を筆頭に、ロクに使えんのしかいない。いずれ滅びるにしても、平氏の命脈はあれほど早く絶たれなかっただろう。
次回にはもう成長した2人が出るようだ。その「らしさ」ぶりがどの程度表現できるか、見せてもらおう。
それにつけても頼朝の子役は上手かった。数え年14歳(=13歳)にしてはちと小振りではあったが、当時の人ならあのくらいでちょうどいいだろう。


→次回「我が父清盛」

兵法を教えるために出て来る陰陽師が、どうしても魔法使いに見える…。