◆第四話「源氏の御曹子」◆



あれのどこが「武者修行」やねん!ただ暗い山道を走って、兵法書を朗読して、木の棒を振るっているだけでみわあきひろに勝てるようになったら誰も苦労せんわっ!!



今まで作り上げて来たものがだいぶん破壊されてしまいました。成績で言うなら、「良」から「可」への転落です。今回のはいっそ「不可」にして留年くらい喰らわせてやろうかと思うぐらいのできばえ。もしかせんでも、宮尾原作者も脚本家も「源氏」はどうでもいいんじゃないか?あァ?なぐらい一気に脚本がおかしくなった今回であります。




<大筋>
寺での生活も十年?が経過し、自分が「源氏の子」であると知った遮那王は「清盛」と「母」の関係に長くもんもんとした思いを持つようになる。寺を抜け出して吉次にそのことを聞きに行くが、遮那王はそこで清盛が病を得て出家したことを知る。遮那王は晴れない気持ちを鬼一法眼との武者修行にぶつけ、武士らしく成長する。鬼一法眼との修行を終えて、改めて「お徳」に清盛と母、そして自分のことを聞いた遮那王は、その帰り道、五条大橋で弁慶に出会う。




→おかしいその1
鬼一法眼についての説明がいっさいない。今回で出番終了?だというのに、陰陽師の「お」の字も出ないままであった。視聴者の大半は「あれは修験者だ」と勘違いしている筈。遮那王が読んでいたのは、鬼一法眼からもらった「兵法書」。だが、肝心のその「兵法書」を託すシーンがなく、どうして彼があんな本を読んでいるのか、見ている人には分からなかったんじゃないか?今回の話は世の中の人に、「みわあきひろってやっぱり妖しいわね」という今更な印象「だけ」を与えて終わったと思う。



→おかしいその2
お徳は清盛と常盤の関係を説明する時に、「常盤の命」も危なかったようなことを言っていたが、そんなことがあるワケない。義朝の血を引く子供は殺されても、妻、ましてや妾の命なんぞ、取りはしない。そんな話、聞いたことがねーぞ〜。(えぬえちけいに向かって大声で)



→おかしいその3
え〜、やっぱり、20歳越えた男に「童」の装束っていうのは、ものっそい無理があるころがよおおおおく分かった。似合わね〜。




主役がタッキーに代わった途端、あちこちからぼろが出るような、設定の「無理」がたたってきてると思えるような事態になってきた。「疑問」に思ったのを、あんな年になるまで放っておくか?タッキーになってから、改めて「清盛」と「母」について聞きに行くなんておかしいよ。でもって、話してくれた内容も「変」だし。
「義経」が主役の割には「平氏」に焦点が当たり過ぎている。ここで清盛の病を無理矢理持って来なくてもいいんじゃないか?
薬について楽しそう、つーか、わざとらしく説明する後白河上皇はかなり個人的に面白かったが。(いいぞ、もっとやれ平後白河っていう気分になる)


タッキーの殺陣もそれほど上手い!というレベルではないし。(あれでみわあきひろに勝てるなんて冗談)なんか、先行き不安になってきたなあ。


でも、松平弁慶はちょっと可愛い。あの太りっぷりがちょうどいいなあ。



→次回「五条の大橋」

かつて絵本で見た図まんまな画面だ。タッキーはひらりひらりと綺麗に飛んでくれるんだろうか?