◆第二十六話「修羅への道」◆



うえどうつぼvsいしはら静は、演技力の面でうつぼに軍配が上がったと思う。



<大筋>
義仲の首が獄門にかけられることに、義経は異を唱える。だが、義仲の首は市中にさらされ、義経はそこで出会った巴に義高のことを引き受けると約す。一方、その頃、平家は一の谷に陣取り、対源氏に備えていた。後白河法皇は義経が見せた義仲への「情」を知り、その使い道を思案を巡らし、頼朝は義高に義仲の死を知らせる。都で院の警護にあたる義経のもとを静が訪ねて来る。郎等の勧めもあり、義経は静と共に暮らし始める。だが、平家追討の院宣が下り、静や郎等らとの穏やかな暮らし(だから、義高のことはどーした)も束の間、義経郎等は一の谷へと出立する。



→大姫&義高
今日かな?と思っていたが、まだだった。
頼朝は自分のことがあるから余計に「後」を恐れた、と思わせる描写だった。うん、頼朝→義高に関してはそれでいいと思う。
あの可愛い大姫が嘆く様はあまり見たくないが、次々回くらいがきっと危ない。



→静
いつ見ても「白拍子」に見えない…。
単なる町娘にしておいた方がまだしも、ってゆーか、うえどさんにこの役をやらせた方が良かったんじゃないか。彼女の方がもっと「らしく」見えると思うぞ。



→義経
巴と義高のことを約束して、鎌倉にでも直ぐに行くのかと思ったら、「己の」心の安寧のために鞍馬へ向かっていた。本当に、言動に責任も一貫性もない「義経」だ。
義仲の獄門に「反対」していたが、この後、平家の面々を討ち取って、彼らの首を同じようにさらすため、獄門をしぶる後白河法皇に何度も何度もかけあって強引に平家の首をさらさせたのが、当の「義経」だ。そういう事実を知っていると、とってもこの「義経」の言動はしらじらしい。



出来の悪い義経とミスキャスト気味な静が中心だと、書くことがない…。



あ、後白河法皇がチェックしていた「歌」は後白河法皇編纂の『梁塵秘抄』用の「今様」に違いない。(法皇様は今様マニア)
宗盛といい、後白河法皇といい、敵役の脇は丁寧に描いて、「イイ味」出しているのになあ。(だから、まあ、何とか見続けることができるんだが)




→次回「一の谷の奇蹟」
き、奇蹟なのか、あの鵯越えは…。