◆第二十七話「一の谷の奇跡」◆



やぎさんのお手紙でいってみよう。


法皇さんたらお手紙書いた♪
平家の皆さん、読んで騙され。
源氏の方々知らずに攻めた♪
源平の和睦?そんなの知らん。



<大筋>
一の谷に陣を構えた平氏に対し、源氏は2手に分れて挟み撃ちをしかけようとした。だが、一の谷は天然の要害。攻めるに難しく、守るに易い。搦め手を任された義経は二万の兵を率いて西へ向かった。途中、三草山に陣取る平資盛の軍に夜襲をかけたが、これで安徳天皇と三種の神器が海上の船へ逃れてしまう。義経は、数の上での源氏の劣勢を覆すため、七十騎で鵯越えを一気に駆け降り、平家の軍勢を混乱させる。この戦いで、源氏は平重衡を生け捕り、一千余人が首を取られたという。海へと逃れた平家は、屋島に向かった。



→鵯越え
まあ、無理なのは分かっているが、急な崖を駆け降りているようには全然見えなかった。「馬が可哀想だ」と言って愛馬を抱えて崖を駆け降りたという、義経よりもっと無謀且つありえねー!「畠山重忠」が見たかったが、案の定スルーされた。



→三草山
ええと、夜明け前に急襲したのに、戦ってないことになってます。急襲がうまくいって、平家は散々にやられたんですよ!ったく、えぬえちけいの嘘つき!それに、あんなにたくさんの太鼓をどうやって用意したんですか?やるならそっちもちゃんと説明せんか!
民家への放火をきちんと描写したことは、描写したが。いちいち住人の許可を取っているあたりがえぬえちけいの限界だな。



→平重衡の生け捕り

タッキーの殺陣は今回、なかなか良かった。

だが、

梶原景時さんが平重衡を生け捕ったんです!ありもしない手柄を立ててはいけません!



→法皇さんのお手紙
実際のところ、義経が「真の戦の天才」であるならば、この手紙も義経が後白河法皇に頼んで出してもらった、のではないだろうか。確かに後白河法皇は「喰えない」政治家だが、「戦」の経験はない。武士の入れ知恵があってこそ、あの手紙は功を奏したと思う。



→次回「非情なり源頼朝」
うわー、やっぱり次か。あれ?でも、何で義経が鎌倉に帰っているんだ?確か、義経は義仲と戦うため京都に行ってしまってからは、1度も鎌倉に帰ってないハズなんだが。まさか、義高のために、わざわざ鎌倉へ?ああ、どんなにエセくさくてもイイ人にしようという魂胆ですか。はいはい、分かりましたよ。


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→蛇足感想

ブログでの義経感想を見ると、宗盛が陰陽道の考えから「七日」に源氏が来ると当てたのを、迷信が当たった!とハナからバカにしている言い方が多かったが、あれは当時としてはとても「妥当」な考え方で、実際に「七日」に源氏勢は来た。
我々からしてみれば、四日の清盛の祥月命日には来ない、陰陽道で方角や日が悪いから五日、六日も来ない、と考えるのは、バカげた迷信だが、彼らにとっては、陰陽道は現代の我々が信奉する「科学」に等しい。特にこれからの命運を決する「戦」ともなれば、陰陽道だろうが、呪いだろうが、不吉な要因はできるだけ排除したいのが人情だ。このような迷信に基づいた「戦」への備えは、秀吉、信長の戦国時代にも受け継がれ、戦の前は不浄な「女」を絶つなどの諸々の風習として残った。
我々の目線で、「当時」を見、彼らの価値判断基準を小馬鹿にするのが、そもそもの間違い。
戦術の面で、清盛の命日だろうが、陰陽道で不吉だろうが、さっさと攻撃するのが「賢い」手段に見えても、彼らはそれをしないのだ。それが平安時代の常識であり、我々が迷信だとバカにしてここ百〜数十年のうちに失った価値観だ。同じ日本人であっても、彼らと我々とでは、外国人並に物事に対する考え方が違う。(彼らからしてみれば、変わってしまった(=おかしい)のは、彼らではなく、我々の方なのだ)

だからこその大河ドラマ観賞であり、歴史絵巻視聴であろうと思うのだが、まあ、そんなことまで気にして見ている人は極一握りでしょうね。


ただ、1つ、義経が迷信を打ち破って「異彩」を見せつけた例をあげるとするならば、大河ドラマで省略された「三草山」での戦いがある。(当時の常識からすれば、こちらの方が「奇跡」「型破り」ではなかったろうか)
三草山に布陣した平資盛・有盛軍は義経軍から見れば、西方にいた。五日は陰陽道で太白星(金星)こと大将軍が西方に宿るため、戦を仕掛ける方角として「西」は絶対に避けなければならない。
しかし、義経は夜明け前、周囲の民家に放火して明りを確保し、「西」にいて油断していた平家勢を夜討ちして散々に蹴散らしたのだ。資盛・有盛があまりの負けっぷりに一の谷へは戻らず、屋島へ逃げてしまったほどであった。(奥富氏『義経の悲劇』より)
これこそ、義経の「戦の天才」ぶりを示す、戦いではなかったろうか。

うつぼ、静に時間を裂かないで、このエピソード込みで一の谷の合戦を仕上げたら正に「奇跡」だったろうになあ。残念。