◆第四十七話「安宅の関」◆
弁慶と富樫さんだけいれば十分という話。
<大筋>
北陸道を奥州へ進む義経一行。途中で宿を借りた猟師の家で、巴が母親として妻として暮らしていた。彼女は義経に生きていて良かったと言い、逃げる義経に諦めぬことと告げる。義経一行を探すべく、安宅の関では監視が厳しくなっており、関守の富樫氏に義経一行は不審と止められる。弁慶が勧進帳を読み上げて事なきを得たと思いきや、義経が持つ静の笛が富樫氏の目に止まる。弁慶は盗んだな、と主を打ち据え、富樫氏も義経の正体に気付きながら、彼らを見逃す。
→巴
出方としては悪くないが、問題の根本を摺り替えているようにも思う。義経さん、あなた義高のことを任せろと言いましたね。結局不履行になったあの約束はどうなるんですか?巴さんも今が幸せだからって、義高のこと忘れちゃあいけませんよ。その一件に関しては、義経の言動は矛盾に満ちているのですから。
→関守富樫氏
石橋さん、上手い!
弁慶とのやり取りはちょっと歌舞伎のオーバーリアクションの影響があるなあと見受けましたが、まあ、1度きりの出番で相手の忠義に感銘を受けなければなりませんので、多少の大げさな顔のつくりは致し方ありません。
最初、うだうだと出て来て、声も小さかったのに、次第次第に迫力と声が増していく。あれが、役者の演技です。(何を言っても一本調子のタッキーと比較すると…)
久々に大河で役者っぷりを拝見できて、嬉しかったです。また、通年での役があるといいなあと思ってます。
→マツケン弁慶
あの長い台詞を覚えるのは大変だろうなあ。
仕え甲斐のない主人に仕えるのが「忠臣」の本懐だそうです。
その意味では確かにバカ殿に仕えるアナタは忠臣の鏡なのでしょう。忠臣蔵が何故「忠臣蔵」と呼ばれるのか、その意味が『東アジアの義経』を読んでよおく解りました。
バカに仕えて、身を捧げてこそ、「忠臣」。
江戸時代に家来をつなぎ止めるためにつくられた「忠義」というシステムの「鏡」として、最後までバカ殿と共に逝って下さい。
→次回「北のなんらたの最期」
だったか。次回、義経に関わった人は「ロクな目に会わない」という典型さん。
|